真っ直ぐ生きるって

多感な中高生の娘持つワーキングママです😊 まずは続ける事から初めてみよう 

姉妹

我が家は、お姉ちゃんとか、妹という概念なく、ここまできた。

 

お姉ちゃんだから、こうしなさい…等、お姉ちゃんだからという、特別な事を強いるのは抵抗があったから。

お姉ちゃんと呼んだことはないし、上の子なんだから〇〇〇しなさいとか、一切、言ったことがない。

私自身、末っ子だったから、そういわれる事はなかったが、子供の頃から、そして、大人になっても、周りのそういう声が気になった。

お姉ちゃん、お兄ちゃんってだけで、荷が重いなって。

先に生まれただけで、何をするにも兄弟の先頭きって、第1号としてやるだけで、兄弟1大変なんじゃないかなと思う。

末っ子は、上の子を見て、ある程度、学んでからだもんね。

先に生まれようが、後に生まれようが、我が子は我が子。同じじゃないか。たまたま、どちらかが、先に生まれただけ。

 

小さい時から、子供達もお互いを名前で呼び合う。

教えなくても、長女は年長者として、次女にアドバイスしたり、日々、案じてくれてるし、次女も上の子を立てながらも、相談したり、頼りにしていて何でも言える関係。。

 

お互い、正反対の性格だけど、お互いを補い合ってて、見ていて面白い。何かする時は、得意な方が、任せてと言わんばかりに先頭にたってやってくれる。

 

2人で通っていた習い事でも、練習中に具合が悪くなった次女を長女がおんぶして帰ってきてくれたり、試合に勝てなかった長女の為に、練習に毎日、付き合ったり…

2人で1人。って言う言葉がふさわしい位、励まし合って練習に励んできた。二人だからこそ、超えられた壁も沢山あったと思う。

 

喧嘩したっていい。親に言えない事もあってもいい。

切磋琢磨しながら、お互いの希望となり、力となって、支え合える存在となって欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

押し付けない

親の思いを子供に押し付けない。

 

子供は子供なりの意志を持ち、自らそこに向き合うのが理想だと思う。

やりたい事に向き合わせる事を私はしてあげたい。

いい大学に入り、いいと言われる会社に入る事を私は求めていない。

生きているだけで、大変な事は山ほどある。

それを超えていける知恵を伝えていく事が親の使命だと思っている。

 

この子達が、幸せに満たされる環境であれば、それでいい。

笑っていてくれたら、それでいい。

いい時も、上手くいかない時があっても、最終的に笑っていてくれればいい。

それ以上を求める理由があるんだろうか。

 

私は物事をシンプルに考えるので、多分、悩むことも最小限じゃないかなと感じる。

周りのお母さん達と、子育てのゴールが違うから、私っておかしいのかな?って、何度も思うことがあったが、どんなに考えてもそれは変わらなかった。

周りと違うことで焦る必要はない。

この子を一番身近で見ているのは、自分だから。

迷わず信じたことをやればいい。

あとは、子供達が自分で考え、繋いでくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちの余裕

日々、何でもない事だとしても、子供達の発信する言葉に応えるようにしている。

受け止めてもらえると思えば、些細な事も話してくれる。

私自身も、子供達に笑って欲しくて、日々ネタ探ししている。

ノッてくれることもあれば、今のオチはちょっと…と言われることもあるが、

何でもない話がしたいだけ。

 

仕事で疲れて自分がイライラしながら、夕食をみんなと食べるくらいなら、手抜きして総菜を買い、ちょっとでも穏やかに時間を過ごす事が大事だと思っている。

何がしたいかというと、子供達に何かあった時に言いやすい環境を普段から作っておきたい。

そう、ちょこっとの余裕が子供達を救うかも。

 

何も考えていないと思っていても、意外と子供って親の事を見ていて、少し体調が悪い時でも、気が付いている事に驚くことがある。

受け入れる側が一定でなくては、子供が言えるタイミングを計っているいる間に、事が起きてしまうかもしれない。

誰でもネガティブになれば、視野が狭くなり、どんどんその闇に取り込まれる。

物事の捉え方をいろいろな側面から見られるように、話すようにしている。

物事には何事も、表と裏がある。メリット、デメリット。

 

テレビのニュースでは、いじめだったり子供の悲しいニュースを目にする。

この子達が生きている世界は、私が知っている子供の世界とは全く違う中で生きている。特に、スマホというツールは、便利でもあり、その裏で凶器にもなる道具。

親の見えない世界がさらに広がる。

全部、把握するなんて出来ない中で、何か出来る事。

いかに早く子供の異変に気付いてあげられる事。

心配かけまいと、親に言えない事もあるかもしれない。

何事も明日は我が身。として準備はしておきたい。

 

学ぶ場所は、学校だけではないよ。

今は、ネット環境があるんだから、どこででも何でも学べるよ。

逃げる場所があることが分かれば、そこに固執しない。

何かあっても、色んな方法が今はある。

答えはひとつじゃない。

選択肢が希望となってくれる。

 

親が気持ちに余裕を持つことで、子供にもそれは伝わる。

最終的に、それは子供を安心させ、守ってくれる。

 

 

 

 

追求する

娘達には、何にでもチャレンジして、失敗も成功もいろんな感情を味わってほしい。

その中でも、武道の道は子供達を悩ませ、それを追求するために努力し、姉妹で喧嘩したり、相談しあってり、幅広く成長させてくれた。

 

長女は、なかなか勝てない期間を経験し、1番を目指す為の努力や苦労を学び、

次女は、早いうちから1番になり、それを維持する努力や苦労を学んだ。

1番の子には1番の、1番になれなかった子はなれなかった子の、どちらも努力と苦労がある。

 

こんな事があった。次女は、どの大会でも結果を残し、毎回のようにメダルを持ち帰り、すこし努力を怠っていた。それでも、勝てていたから。

何回目かの全国大会出場が決まり、練習に気持ちが入っていないようで、みんなが応援してくれる中で、私は我慢の限界だった。

 

全国大会出場の意味わかる?

県の代表なんだよ。

みんなこの全国大会に出たくて、一年、必死にがんばってるの、わかるよね。

出るあなたは、出たかったみんなの思いも背負ってでなくちゃいけないよ。

全力でそこに向かえないから、辞退してちょうだい。

お母さん、このままで全国大会に出るなんて、みんなに申し訳ないし、恥ずかしい。

よく考えなさい。

 

中途半端な気持ちで臨むわけにはいかない。

みんなの努力も、悔し涙もこれまでたくさん見てきた。

個人競技は常に自分との闘い。時間内に自分で考え、相手の動きを読みながら、攻撃する。一瞬でも隙があれば、どんなに強いと言われる子でも、一発勝負だから負ける事もある。その一瞬で、1年分の努力はまた持ち越される。

 

次女はしばらく何も言わなかった。

練習もいつも通り通っていたが、ある時、ポツリと、

出たい。やっぱり、出たい。って。

 

そう。わかった…と返した。

次女なりに、相当のプレッシャーを抱えていたのはわかっていた。

道場一の成績や記録を更新し、指導者や道場の子供達や父兄、学校でも何度か紹介され、みんなが応援してくれていた。

その期待をこの子一人で背負うわけだから。

 

辞退してもいい。

 

そのプレッシャーに負けているようでは、あの舞台に立っても、本人がただ恥をかくだけ。それを超えた子達が競い合う場だから。

だから、どっちを選択しても、いいと思った。

 

この子達がやりたい!と言ったことから通い始めた。

武道といえど、格闘技のイメージが抜けず、女の子だった事もあり、何かあってはと、始めは反対した。当たり所が悪ければ、この子は当たり前の人生を送れないのかもしれない。色んな事が頭をよぎり、出来ればほかの競技にと願った。何度も何度も動画を見せ、それでもやりたい?繰り返した。

やりたいの一点張り。最終手段として、

やりたいというのなら、途中でもう無理、辞めたいというのはなし。

やるなら黒帯を取るまで、辞めないという覚悟をもって出来るならいいよ。

 

と。それなら、やらないと言うだろうと思っていったが、あっさり、それでもやりたいといった。

その言葉で、私も覚悟を決めた。そこまでの思いがあるのなら、私がもう何も言う事はない。この子達の思いの為に何があっても支えようと決めた。

 

真剣に何かに取り組む事からしか、学べないと思う。

結果が出ても、出なくても。

その為に努力し、考え、続ける。

今後、何かしようとした時にこの子達の大きな原動力を育てるはずだから。

中途半端でやったことは、中途半端で終わる。

 

やりたい事を追求させる。

親はサポートするだけ。

我が家のスタイルは変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信念は曲げない

小さい頃はあれやこれやと、叱る事も多かったが、ここまで大きくなると子供達を叱る事は、あんまりないかもしれない。

それでも、挨拶がイマイチだったり、時間を守れなかったり、当たり前の事がおざなりになってくると、喝を入れるべく、見逃さず叱るようにしている。

 

小さい時は、ご飯を残したり、挨拶だったり、言葉使いだったり、細々と叱らなくてはならず、叱る度に、体力・気力を消耗し、メンタルが疲弊した。

 

長女が幼稚園の頃、お友達を叩いた事を先生から伝えられた。

その相手は、いつも一緒に遊んでいる子だった。

ショックだった。私が見ている長女の行動とはとても思えなかった。

私も大きな勘違いをしていた。

私が手を出さない育児をしていれば、この子も手を出すという発想もないだろうと、勝手に思い込んでいた。

家に帰り、長女に尋ねた。

 

どうして、叩いたの?

 

違う子と遊びたかったのに、しつこかったから、すごく我慢したけど、我慢してたら知らない間に、お友達の手を叩いちゃった…

 

長女は静かに泣いていた。

私も涙が出た。

 

人を叩くってことはね、叩いた所だけが痛くなるだけじゃないんだよ。それと一緒に、心も痛くなるの。お友達も叩いた手の痛みはすぐ直るけど、叩かれたっていう心の痛みは簡単に治らないんだよ。だから、何があっても人を傷つけたら、ダメなんだよ。って。

長女は黙って聞いていたが、自分も悪いが友達も悪いとポツリと言った。

引かなかった。

 

私は、初めて我が子に手を上げた。

お尻を2回叩いた。

泣きながら。

 

痛いでしょ。叩かれたら痛いでしょ。それに、叩かれた事も悲しいでしょ。

遊びたくないと思っていたのなら、ちゃんと友達に自分の気持ちを伝えるの。

叩かれたら、今、どんな気持ち?お母さんに教えて?

 

嫌な気持ち。もうこんなことして欲しくない。

 

そうだよね。嫌な気持ちになるよね。お友達もそうなんだよ。

だから、明日、幼稚園でもう1回、叩いて嫌な思いをさせた事を謝るんだよと伝えた。

 

次の日、お友達に謝った時、お友達の方からもごめんね。と言ってくれたようで、何もなかったように仲良く遊んで帰ってきたので、ただただ安心した日だった。

わかってくれたのかどうなのか、それ以降、そういう事はしなかった。

 

正解がわからないから、自分のやり方で、どのようにも出来る面もあるが、考え始めたら答えが出ないほどに選択肢がある。

どちらにせよ、当たり前の事が出来なくて、世に出て、困るのはこの子。

手を出した事に後悔はない。

言葉でどれだけ説明しようが、当の本人には真から伝わらない。

頭では叩くのはよくないと分かっていても、実際に何でダメなのか、じゃ、叩かれたらどんな気持ちになるのか。叩かれた経験がある子にしかわからない。

人の痛みがわかる子であって欲しい。

 

そこには、愛しかない。泣いても、許さなかった。いけない事は、いけない。内心は、こちらも一緒に泣きたい位だけど、信念を通す。親が真剣かどうかは、子供達もちゃんとわかっている。

だからこそ、信念を曲げてはならない。

 

ブレずに、真っ直ぐ。

 

当たり前の事を当たり前に。

 

いつか、この子達にも子供が出来た時に、同じように子供を思い、同じように諭して欲しいと思う。

自分を曲げずに、信念を持って…

 

 

母親像

母としてどうあるべきか。

母になりたての頃は、出来るだけ完璧な環境を求めようとした。

そうすれば、この子達にとっても、必ずいいはず。

だが、どうしても手に入らなかったもの。

 

子供達が私達以外に甘えられる人の存在。

 

我が家は核家族。

私も主人も実家は遠方で、子供達にとって甘えたり、気の許せる人は主人と私だけ。

 

娘達のお友達を見て感じていた。おじいちゃん、おばあちゃん、もしくはそれに代わる人がいる子供達は、心の余裕があるように見えた。だから、うらやましかった。

余裕と言ってもそれはちっちゃな差だけれども、私はそれを思うと、子供達が不憫に思えて仕方なかった。

周りと比べた。

自分が恥ずかしい…

 

この子達が私に求めるものって何だろう。

本質をよく考えたら、結論はすぐに出た。

簡単な事じゃないか。

 

私は、近くで寄り添い、楽しい時は一緒に笑い、悲しい時は一緒に泣いて、その時その瞬間を共有する1番の理解者であればいいんだ。

 

無いものを欲しがっても、ないものはない。

この子達はかわいそうなんかじゃない。

 

ネガティブな考えで、自分の限界を決めてしまっていた。

これしか出来ないって。考える事をやめていた。

 

この子達に母として、出来る事を諦めていた。

ポジティブな発想で視野を広げてあげること。

考え方は無限にある。

希望は生きるエネルギーになってくれる。

完璧な母でなくてもいい。一緒にいて、力を与えれる母でありたい。

 

 

子供に期待しない

私の子育ての基本。

 

子供に期待しない

 

そもそも、主人と私の子であるから、どんなに頑張ったって、たかが知れている。

突然変異でもなければ、まあ、自分達とさほど変わらない、学力や運動能力も想像できる。子供に過剰に期待することもないし、いい結果に繋がれば、些細な事でも喜べる。

 

周りのママさんを見ていると、あれが出来ない、これが出来ないと嘆いてるママさんたちが多く、不思議でならない。我が子が自分達以上に大きな成功を残したり、勉強でも部活でも活躍出来ると本当に思っているのかな。

 

勉強は苦手かもしれないけど、その子は部活で活躍していたり、好きな事で毎日充実した毎日を過ごしていたり、それだけで親って満足なんじゃなのかなって。

 

子供達の試合に行くと、必ずといっていいほど、負けた事を子供を責める父兄がいた。私の見てる限り、その子は、誰より早く来て練習もしているし、積極的に勝つ為に練習に取り組んでいた。どうして、そこを褒めてあげられないのかな。結果なんて、一生懸命やってても出せる子、出せない子がいるのに、子供を責めたって、誰になんのメリットがあるのかな。

その子は試合に負けた事にも涙し、親に叱られてまた涙する。試合の度に委縮していく。

あの練習時の頑張りを生かすも殺すも、親の手腕こそ大事なのに…ってずっと思ってた。

親が言わずとも子供自身でプレッシャーを感じているはずで…

子供に結果を求めるなら、親も学ぶ必要があるんじゃないだろうか。

 

大人同様、子供だって常に何かときっと戦っている。

 

スマホ

子供達が学校でどう過ごしているかは、子供達が年齢が上がるごとにその機会は減ってくる。あれやこれや聞くのも、中高生くらいになるとなかなか話してくれないもので、その中で、いち早く、危機管理できる体制を準備しておく事は必要不可欠。

 

SNSがこれだけ浸透している今、親が子供のすべてを把握するのは不可能に近い。

それでも、スマホを持つことについて、少しでも考えて、危機感を持って使用する事で、色んなトラブルから子供を守る事ができるかもしれない。

我が家の場合、最初にスマホを先に手にしたのはもちろん長女であるが、欲しいとお願いされてから、すぐに与えることはしなかった。

親が納得するまで、なぜそうなのかをプレゼンしてもらった。

  • なぜ、必要なのか
  • もし、手にしたら、どのように使いたいか。
  • もし、手にした場合の、メリット、デメリット。
  • 自分で考える使用時間。
  • もし、それを守れなかった時、どうするか。

簡単に手に出来ると思っていた長女だが、とんでもなく面倒な道のりだった。

我が家で言えば最終判断は主人だったので、プレゼンに対しての内容について、質問するのだか、理解して返答できないとまた次回に延期になる…何度も何度もチャレンジするも、やっぱりダメで、おいおい泣かれると、かわいそうで、もういいんじゃないと言いそうになる気持ちをグッと堪え、長女の頑張りを見守った。

 

プレゼンし始めて半年が過ぎ、その時は突然やってきた。

長女の意地であろう後半の頑張りに、もうYESと言う他なかった。

そして、時間をかけた分だけ、自分でスマホを持つ責任、いろいろな人と繋がる、メリット、デメリットを理解し、スマホを手にした今でも、自分で決めたルールを守り、大切に扱ってくれている。

すぐ与えることは親も楽だし、子供も嬉しい事。でも、面倒な事をするからこそ、後々、親も子供も安心できる環境に繋げていけるんじゃないのかな。

 

何に対しても、考えられる力をつける。まずは、考える事から。

 

 

 

勉強しなくていい

散々、我が家の子育て談義を書いて来たけど、何もなければ穏やかに時は過ぎている。

子供達は下校すると、リビングで宿題や課題を自分のペースでやっている。

 

勉強でも我が家は、環境は整えない…という観点から、リビングのみんながいる中で勉強する。会話もするし、テレビもついている。

集中出来ない…と思いがちだか、子供達に関して言えば、やる時は集中するので、このスタイルで問題ないみたい。

 

よくありがちな、いい結果が出たので、ご褒美をあげる、もしくは、ご褒美をあげるから、がんばらせる…これ、我が家ではしたことがない。ご褒美の為にやった勉強は何の学びにもならないと思っているから。

自主的に学ぶからこそ、身についていくと思う。

 

じゃ、それで成績はどうなの?となるけど、長女は小学生からずっとオール5だし、次女にしてもほぼそんな感じ。

 

長女に、みんなのお家は親が勉強しろって言うんだって。なんで、うちでは言わないの?

 

と、聞くので、そうね。勉強って事より、あなたたちがやりたい事に向かって、頑張っている姿が何より見たいから。やりたい事もないのに、勉強が出来たって嬉しくないな。

 

う~ん。家はやっぱ変わってる。だって。

 

勉強しなくていいよ、と言っても子供達は勉強するし、面白いもんだなと思う。

こんな家庭に育ったにも関わず、難関大学をなぜか目指して、頑張っている長女。

形にこだわらなくていいんだよ。やりたい事があれば、このご時世、大学に行かなくても、道はたくさんある。

親として近道を教えるのは簡単だし、その気持ちも理解できるけど、遠回りしても、努力している子は、最終的に点と点が繋がり、進むべき道に進めると根拠のない確信があり、子供達にもそういう生き方をして欲しい。

失敗しても、それはこの達の大事な財産になるものと捉えているので、どっちに転んでも子供達を成長させてくれるはず。

 

 

決断する力

子供達が色々やる事に対して、常日頃、心掛けている事は本人に決断させる事。

心の中でこっちを選択して欲しい…と思っても、親として、両方のメリット、デメリットを伝えてた上で、決断するのは本人に。

 

色々と口を出したい所ではあるが、これを我慢して自分で考えて決断させる事で、子供達は自分の決断に責任を持って取り組み、結果がどうであれ、誰かのせいにする事がなくなった。

 

それまでは、失敗する度、やれって言ったのお母さんでしょ…と人のせいばかりにしていたけど、自分が決めたとなると、そうもいかない。

決めた事に対してこちらも、結果はともかく、一生懸命にやる過程こそ大事だ…と。

 

そもそも、これもスポーツをやる上でその場面はとても多い。その瞬間に決めなきゃいけない場面によくなる。試合中にけがをして、次戦、出るか、出ないか。酷かもしれないけど、本人に決断させた。

怪我をして試合に出ても、ベストパフォーマンスは望めない。出ないとなると、この日の為にやってきた練習が無になる。どちらにせよ、リスクがあり、厳しい選択。

やる?やらない?

周りに流される事なく、自分で考えて判断して、責任を持って欲しいと思っていたから。

常に親がずっとそばにいて、選択してあげられるほど幼くないし、学校だってどこだって、外に出たら、世の中、決断する事だらけ。

子供でも大人でも一緒だと思うから。

 

私自身、結果なんて求めていなくて、もし結果がついてくればラッキー。そうじゃなくとも、学んでほしいのはその過程こそが重要だと思っている。

スポーツで例えるなら、どれだけやっても結果が伴わない事なんてザラにある。

世界で一番、練習したからって世界一にになんかになれない。

 

あくまでも我が家の育児法。

小さい頃から、ブレずに一貫してやってきた。

自分達のやり方。

親がブレると子供もブレる。

この子達の未来の為に今出来ることを逆算してするだけ。

愛するこの子達の為にできる事。

この子達の笑顔の為にできる事。

 

環境は整えない

子供達のパフォーマンスを最大限に活かせるように、親も最善を尽くす。

だけど、どれだけ準備しても、万全で臨める事はほぼなかった。

子供達の習い事の大一番では、サポートする側も本人達も本番に向けて、ベストコンディションに全てを注ぐ訳だけど、まあ、様々なアクシデントが起きた。

理由は色々で、怪我だったり、寝不足だったり、食事のタイミングを間違ったりと、まあ上手くいかない。個人競技という事で、全てを自分でコンディションを作って臨まなければならなかったから、それもあった。

そうなると、何が起こっても、自分で修正し、切り替えていくメンタルが、勝つ為の大事な部分になってくる。

 

普段から整えない

 

何もなかったら、ラッキーくらいに思い、どこか痛くても、寝不足でも、みんなそう。と思えばその中で出来る事をやるしかない。

勝ちきる子は、そんな中でも結果を残す。

完璧な環境でしか、結果を出せない状況にはさせないという事。

 

環境が整ってなければ、結果が出せない…じゃなくて、どんな状況でも力を出し切る環境やメンタル作ってあげる事を日々心掛けるように。

 

我が子の個性を伸ばすために何が必要なのか?

これが正解という事がないのだから。

 

 

比べないのは難しい

子育てにおいて、兄弟を比べないで育てるのは難しい。

親がそうしなくとも、第三者によく比べられて、我が家は困った。

 

今は辞めてしまったけど、子供達は武道の道で、幸いにも何度も全国大会を経験している。姉妹で同時に始めたので、ここでもう大きな差があった。

上の子は小学生だったので、同学年といえばもう何年も競技をやっている子がほとんどで、下の子はといえば、周りはちょうど始めたばかりの子なので、試合に出始めると、下の子はみるみる結果を出し、注目を集めるようになった。

 

道場の若手の指導者も悪気はなくとも、励ましのつもりで「妹が頑張ってるんだから、お姉ちゃんもがんばれよ」と、軽々しく言うことに腹が立った。

その言葉は、頑張っている子にかけることばじゃない。

1試合でも勝つために頑張ってるのに、それを見ているはずの指導者からの軽率な発言に、陰でどれだけ長女が泣いたことか・・・。

 

試合の組み合わせのほとんどが、1回戦からシードの子で、前回優勝者やそれに近い子達ばかりなのだから、組み合わせを見る度、目の前が真っ暗になる。

次女がどんなに結果を出そうが、心から喜べない日が続き、掛ける言葉に本当に悩んだ。

 

でも、ある時からその組み合わせをポジティブにとらえた。

強い子とやる時は、あえて喜んだ。「すごいじゃん。そんな強い子と出来るなんて、ラッキーじゃん。普通なら、何回も勝たないと当たらない相手だよ」って。

そんなこと言うのは、私ぐらいだったと思う。

ひたすら言い続けた。負けても負けても。

周りがどんなに妹と比較しても、励まし続けた。だって、誰より勝つために頑張っていたから。

結果は出なくとも、その姿勢は本当に私の自慢であり、必ずこの子も全国大会の舞台に立たせたいという、強い思いに変わった。

そうこうしていると、あれよあれよと結果がついてくるように。どんどん努力が実を結んできた。

もう姉妹で比べられることがないほどに結果を出し、全国大会への出場も果たした。

心から勝利を喜べる日がどれだけ、嬉しかったか。

 

姉妹であっても一緒じゃないし、それぞれの個性を伸ばしてあげる事がこの子達の未来に繋がる一歩だと思う。可能性は無限にある。出来ないと決めるのは親じゃない。誰が何と言おうが、子供の可能性を信じよう。きっと、何かに繋がるきっかけになるはず。

 

 

みんながやってる

子育てをしてたら、子供からよく聞く言葉。

 

みんながやってる。

みんなが言ってる。

 

よく聞くワードだけど、子供達にもそういう時こそ、みんながやってる事は正しいとは限らないよ。流されないで、自分の考えで行動するんだよと、伝えている。

 

その他、大勢の意見が正しいとは限らないし、大きな流れにただ流れるのは、知らない間に誰かを傷つけてしまう事もあるかもしれないし、想定外のトラブルに巻き込まれる事もあるかもしれない。

コントロールされてる感がして、自分の意志を持たないことを危険に思う。

みんなと一緒というだけで、安心しないで欲しい。

 

子育てだって、みんながやってるからと言って、我が子に必要な事かどうか、まずは考えないと。

育児法なんて正解もないし、他人の育児法はあくまでもその人のやり方。

人と比べて不安になることもないし、子育てだって、100人いたら100通りあるのが、当たり前だから、周りに振り回されないで自分流が1番、自分の子にふさわしい育児法だと思う。

 

 

勉強しなさい

我が家の子供達。

 

宿題しなさい。

勉強しなさい。

 

よくあるこのフレーズ、我が家では言った記憶がない。

そもそも、我が家のモットーは、好きな事をとことん突き詰めなさい!

あれもこれも欲張らず、ひとつに集中してそこに注ぎ込む力を育てておけば、何かやると決めた時、迷う事なく向かっていけるから。

 

これを徹底させたのは、主人である。

主人は仕事でなかなか育児には参加出来なかったけど、育児について、改めて子育てとは?と問いかけ続けるワードを投げかけてくる。

 

好きな事をとことんって言われたって、初めは、躊躇しました。

だって、あれもこれも出来た方がいいと思っていたから。

勉強なんなしなくてもいい!

好きな事を突き詰めろ!

自分でやりたい事をとにかくやるんだ!って、言うんだから。

今、思い返しても、その時は、もう一か八。

でも、一生懸命何かやってたら、何かに繋がるのかなって。

 

私の心配をよそに、好きな事を知るために長女はものすごい記憶力がいい子になった。なぜなら、小さい頃、甥っ子の影響でポケモンが大好きだった為、ポケモンの絵を描いたり…モンコレで遊び、大好きなポケモンの事が知りたくてポケモン図鑑がまるまる頭に入る。好きな事だから何の苦もなく、覚えることが出来た。

これをきっかけに、ひらがな、カタカナ、漢字もひとりで覚えてくれて、私は何も教える事がなかった。

それは次女も同様。

 

蓋を開けてみたら、主人の言った通りに、子供達は自主的に何かに励み、目的に向かって頑張る力がみるみる、ついていった。

 

何が正しいかなんて、わかりっこないけど、これからのこの世を生き抜く力を出来る限り、身につけてあげたい!って、1番はそこ。

 

何があっても生き抜く力

 

一寸先は闇。

いつまでもそばにいてあげられる保証なんてないもの。

 

これって、本当にこの子の為になる?

これで、この子は何を学ぶの?

それって、私の希望じゃない?

 

今日も自分に問いかける。

 

子育てに何が必要?

 我が家の子育ては震災を機に大きく変革を遂げる。

 

上の子は幼稚園生でした。それまでは、食事に関しては、有機野菜を、添加物を減らし、温かいものを温かいうちに等…と手を掛け、それに満足していた私でした。

 だがしかし、震災に遭い、その考えが覆されました。

まず、配布された食べ物を子供達が、食べられないのです。

理由は簡単。冷たい。おいしくない。というシンプルな理由なのですが、この逆境に生き抜く為の術を私は何一つ、この子達に与えることが出来ていなかった事に猛省しました。

 真逆の育児を心に決めた出来事でした。

 

「雑食に育てる」

 

惣菜もコンビニ弁当もインスタントラーメンも、冷たい食事も、なんでも対応できるように方向転換。

始めは抵抗していた子供達も、その必要性をきちんと説明していくうちに、理解してくれるように。

 もちろん、普段の食事は普段通り。

月1でも月2でも、食べられるようになるだけでいい。

 

 添加物だったり、ジャンクフードを食べさせるのは気が引けていたけど、それを決意させたのがもう一つ。家族でお世話になっているごゴットハンドを持つ先生がいるのですが、その先生がおっしゃっていたのが、どれだけ食べ物や体に気をつけていようが、最強の肉体を持っているほとんどの人が、雑食で育ってきた人に多いそう。先生も不思議がって.いたけど、雑食でもなんでも生き抜いていける肉体を持っている事こそが最強なんだ痛感したから。

 個人差はあるのかもしれないけど、それに徹し、子供達はどうなったかというと、

  • 病院にかかることがほとんどない
  • 好きじゃないと言いながらも、残すことなく食べてくれる

 仕事をしている母としては、風邪も引かないのは大変有難い。風邪を引いたとして  

も、長引くこともほぼないしね。

 

 みんながやっているから…の前に愛する我が子の為に、何が必要なのか?