真っ直ぐ生きるって

多感な中高生の娘を持つワーキングママです😊 まずは続ける事から初めてみよう 

正反対

我が家の姉妹の性格は、正反対。

同じ親から生まれ、同じ性なのに、面白いものだ。

私の中では、例えるなら「太陽と月」という響きがしっくりくる。

太陽は長女、月は次女。

真逆の性格を持ちながら、真逆だからこそ、お互い補い合って、喧嘩しながらも、「2人で一つ」の言葉がふさわしい程、仲がいい。

 

同じスポーツで、共にてっぺんを目指し、姉妹で切磋琢磨し、お互い、真逆の立ち位置で悩み、思いのままを理路整然と発言する長女と、自分を出さない次女と、親にも言えない事も、2人で話し、色んな事と戦い、365日、そのてっぺんの為に全てを注ぎ込んだ。

毎週のように、大会や県の強化練習と、娘達は、身を粉にした。

 

その中で特に心配したのは次女。

弱音を全く吐く事がなく、思いや気持ちを伝えるのが得意ではなく、常に内に秘める。

その中で、周りの期待や、勝って当たり前の視線に、なんとか応えようと、ますます内に籠り、私にも本音が言えなくなって行った。

その辺りから、試合の度に、過呼吸を引き起こし、止まらなくなっていった。

救急車も何度となく、お世話になった。

 

病院ももちろん、何度も診察してもらい、原因となる、この競技を一旦、辞める事を勧められた。

何度も私も説得したが、首を縦に振らなかった。

一瞬でも休めば、誰かに奪われる。

しばらくして、やっと私に、「負けたらどうしよう…」と思った途端、発作になると話してくれた。

 

挑戦者でいる時は、ただそこを目指していれば良かった。

1番になるや否や、状況は一変する。

今度は、追われる立場になる。

どの大会にいっても、注目を集める。

勝っている時はいいが、負ければ、嫌でも自分の耳に周りの声は聞こえてくる。

個人競技は常に自分のとの戦い。団体競技のような仲間はいない。

いい所もたくさんあるが、こういう時、非常な言葉を浴びせる人もいた。

ただ単にその競技が好きなだけの次女は、それに心と体が悲鳴をあげ続けた。

 

そんな次女を長女は、指導者より誰より、心配し、支えた。

リラックスして試合に臨める様に、声を掛け、

過呼吸になりそうになる次女に誰より早く気づき、介抱し、良くなるまでそばに居てあげた。

大会会場となれば、競技場には、監督、コーチ、選手しか入る事は出来ない。

長女は、次女をおんぶして、私の所に駆けつけてくれたり、救護班の所に連れて行ってくれたり、何とか続けられた理由に長女の存在があったから。

次女の休みたくない…の思いを、長女が「私が守るから」って、最後まで力になった。

 

今はそれぞれ、違う目的の中で日々過ごしている。

勉強に励む長女。

普通がいい!と、穏やかに過ごす次女。

どちらも、それでいい。

 

誰かが決めたレールなんか、進む事はない。

これが正しいという道は、誰にも分からない。

幸せの物差しは、自分にしかはかれない。

今のまま、自分の心の声のままに、笑ったり、怒ったり…

ただ、笑って居てくれればいい。

笑顔の娘達をこれからも見続けたい。

その笑顔をこれからもずっと…

 

子育て四訓

1 乳飲み子は肌を離すな

2 幼児は肌を離して手を離すな

3 少年は手を離して目を離すな

4 青年は目を離して心を離すな

 

子育てをしていれば、一度は聞いたことがある子供の接し方の言葉。

娘達で言うなら、一番大変だったのは、1と2の時期だった。

意思疎通が出来ないし、2は特に自立心が芽生え、思った通りに動いてくれなくて、こちらも、感情に流される事ばかりだった。

関わる時間が最も長く、子供自身にも譲れないこだわりが明確になってきて、もはや、これは「修行か!」と思うほど、自分の懐の大きさと人間性を試された時期だった。

 

大変な時は、その一瞬が大変過ぎて、何も考えられない時間だとしても、それは一生続く事はないし、あの時があったからの今だなぁ〜と、思える時が来る。

 

子供に関われる時間には限りがある。

まだまだ、構っていたくても、子供から自立していく。

大変な時期を超えて、笑える日が来る。

頑張ってくれている姿を子供達は、ちゃんと見てる。(見張られてるに近い?)

今、頑張っている事は無駄じゃない。

自信を持って、子供達と向き合って、泣いたり、笑ったり…

バチバチぶつかりながらも、娘達の幸せ探しをサポートしていくからね。

 

長女の初面談

学年が上がり、先日、第1回目の長女の個別面談があった。

 

15分という事もあって、あいさつ程度の面談内容なのは想像が出来る。

新学期を過ごし、だいたい、クラス内でどう過ごしているか、友達とはどうなのか、とか、その話を聞くことで、クラスで孤立してないみたいだなとか、特定の友達は誰なのかなとか、最低限の安心材料を収集できる。

学校内の見えない情報が知りたい。

何でもよかった。

 

だがしかし、今回は違った。

全く触れられなかった。

この面談に備え、長女と面談したらしく、その内容を伝えられた。

志望校、目標とする学部、昨年のクラスの友達が今も一番仲がいい事。他にも…

・・・どれも、家で当に話している。

同じ事を先生から聞かされた…

先生の所見が全くない面談は初めてだった。

面談中から、悲しい気持ちになった。

先生が、何も見ていない事に。

それを決定付ける言葉があった。

 

「〇〇さんなら、もっと上を目指せると思うんです!!」

 

頭の中が???でいっぱいになった。

え・・・

もっと上?

難関大を目指す長女のもっと上って、なに?

どこを目指せって???

 

娘達の面談を今まで何度もしてきたが、初めてのパターン。

1年、この先生と向き合うのか、長女は。

 

家に帰り、長女にも面談について報告。

長女も、「もっと上って、どこの事を言ってるんだろう」

 

私の内心は、長女がどこまで担任の先生を理解しているかという

事だったが、「ま、普段からそんな感じの先生だから。何かあれば、学担の先生がいるから大丈夫。」

安心する。

そう、幸いにも1年生からの学担の先生は、面倒見がよく、生徒からの信頼も厚い。

色んな先生がいる。

選べない。

その中で、自分で判断して、選択しながら、自分の進む道を進まなければならない。

 

誰かが何かしてくれると思っていたら、手遅れになる。

どんな時であっても、自分の力で行動できる力は必要。

誰かのせいにしない。

どんな環境であろうが、成長する人は構わず成長できる。

大事なのは、自分をちゃんと持っている事だと思う。

流されない。

目的に向かってブレずに…

 

悲しい出来事

とんでもない事件。

娘達も学校で聞かされ、ショックを受けていた。

特別、好きでも何でもないが、一人の命が誰かに奪われたことに、怒りと悲しみでいっぱいになる。

人が人の命を奪うなんて、あってはならない。

誰かを傷つけてまで、得るものってなんだろうか。

どんな理由だあろうと、暴力でその人を批判する事は許されない。

 

日本の安全神話も終わりなのかと思いたくなるほど、恐怖を感じる事件。

その時代に、この子達が向かっていくのかと考えると、何をどう、準備したらいいのか…もはや、生き残るのは、運しかないのか…

 

色んな感情が渦巻く中で、次女は、金曜ロードショーの「竜とそばかすの城」見る為に、やる事をすべてこなし、放送されると信じテレビの前でスタンバっていた。

「そうだよね😢・・・そう来るよねぇ」放送されなかった事を残念がっていた。

ホッとした瞬間だった。

 

悲しい事件がこれ以上増えない事を祈り・・・

この子達の未来が明るいものとなりますように・・・

 

子供は同志

人として、当たり前の事はだいたい身につけている年にもなった。

私の方が、たしなめられる事も…

 

もう自分達の意志を持ち、自分で決断し、親はアドバイスはしても、方向性を決めるのは子供達。

子供自身が、親や周囲の期待に応える為の選択は望んでいない。

だから、子供が選択した事は、どんな状況であっても否定しない。親は応援するだけ。

 

失敗したっていいじゃない。

挑戦する気持ちを応援したい。

子供達を見て思うのは、自分で考え、決めた事は、とにかく、頑張っている。

結果がどうであろうと…

自分で決めた事だから、誰かのせいにしないし、その結果も納得できるし、ただ、そこで終わらずに分析し、次に生かす事が出来ている。

 

大人だろうが、子供だろうが、その姿勢は家族であっても一緒。

それぞれの志に向かって、頑張っている。

金銭的なもので言えば、まだまだ、親の扶養家族であるから、そこに関しては、要相談事項であるが・・・

 

親だろうが、子供だろうが、人である限り、どこか欠けていて、どこか秀でるものがある。

家族だからこそ、足りないものは補い合い、やりたい事を心から応援する。

やる前から、ダメだなんて決めつけない。

やってもないのに、結論を出すのは我が家ではタブー。

そこに挑戦する事への気持ちだけでも、ほめたたえたい。

 

笑ったり、怒ったり、泣いたり、落ち込んだり・・・

感情を共有し、何があっても一人にしない事。

私達は同志。

何気ない毎日も、生きているだけで、大人も子供も大変な事には変わりない。

幸せを願い、逞しく生きていく事を支えあう同志。