子供達を育ててきて、この誘惑に惑わされた。
子供達が成長していく中で、主人とも話し合い、子供がやりたい事をやらせよう。
親がやらせたものは、所詮やらせただけの結果に終わる。
必要なのは、やりたい事に熱量をもって臨める力を高める事。
それは、今、夢中になってやっている事だけではなく、この先も、何かやろうとした時の大きな原動力になる。
考えれば、世界で活躍している研究者でもプロスポーツ選手でも、たった一つを極めてきた人達。その一つを極めるために、そこに付随するもの全てを自然と学ぶ。スポーツ選手だって、学びはそのスポーツだけに留まらない。海外に心が向かえば、その為に英語だって何だって、必然と覚える事になる。
そこまでを目指しているわけではないが、一見、たった一つしか出来ないじゃないかと思いがちだが、身につくことは、その一つに留まる事はないと思っている。
だが、周りを見渡せば、英語や学習塾、ピアノ、スイミング、と何個も掛け持ちでみんな通っているのが当たり前。
その当時でも、何もしてないなんて、我が子達だけだったかもしれない。
多少の不安はあった。
だけど、子供達には、あれもこれも器用に出来なくてもいい。
一つの事に、夢中になれる力をつけさせたい。
その時は来た。
それが武道との出会い。
出来ればもっと違うスポーツにと思ったが、子供達の熱量に負けた。
その日から、子供達は勝てない日々を泣きながら過ごし、勝つ為に、道場の練習はもちろん、自分達で練習メニューを考えたり、強い子の試合を分析したり、自分達を追い込み、強い志で過ごした。
もう、いいんじゃない…とたしなめる程だった。
望んだ事であっても、それは、困った事もあって、せっかく休みにどこかに行こうという事になっても、時間の無駄だと行けなかったり…
ある時、下校中に自転車で転倒し、顔を縫う事になったのだが、1週間後に大会を控えていて、そこに向けて練習していた最中の出来事に、親としては、女の子だし、傷傷が残ったらなと、抜糸も何もしてないこの状況で、出場する選択はないものと思っていた。が、違った。
「なに言ってるの、出る。この日の為に練習してきたんだから、出ないなんてありえない」
どんなに説得しようが無理だった。
なんなら、
「お母さんがそうして欲しいだけでしょ。自分が自分の人生を決める事に、何が問題があるの?傷が残ったって、お母さんのせいにしないから、心配しないで」
そこまで言われても、縫った所が、試合中に裂けたらどうしよう。とか、とにかく、辞めさせたかった。
術後の消毒にを病院に行くことになっていたので、もう先生に賭ける事にした。
1週間後に試合を控えている事。
傷を綺麗に治したかったら、今回はやめたほうがいいけどな。
いいねいいね。先生の一言に諦めるかと思いきや、
「この試合の為に、練習してきたんです。どうしても出たいんです。この傷がどうなるかじゃないんです。試合に出たいんです。」
先生も、その強い意志に認めるしかなかったんです。
「ん~、そこまで言うなら、お母さん、仕方ないじゃですか。応援してあげましょうよ。出てもいいけど、出来るだけ、顔に当たらないように、もし、何かあったらすぐにここに来るんだよ」と。
1週間後、彼女は、周りがその顔に驚く中で、何も躊躇なく戦った。決して、引かずに、攻めに攻めた試合を最後までした。
躊躇する事なく、前向きな姿勢で戦った姿に涙がでた。
我が子ながら、誇らしく思った。
この意志の強さや、前向きな姿勢は何があっても、この子に自信と可能性を見出してくれる。
私は、それを支え、後押しするだけ。
限界は私が決める事じゃなかった。