衝撃だった。
被害者はまったくの面識のない母娘。
加害者は15歳。
母親に対しての不満。
どんなに血が繋がっていようが、子供は常に親に愛情をあらゆる方法で試し、親は何が起ころうとも我が子への愛情を貫かなくてはならないと思う。
常に子供は、親に褒められたり、認められたいと子供は必死だと思う。
その表現は素直に気持ちが伝える事だけでなく、愛するが故に反抗という形かもしれない。
誰か1人でも愛されているという確信があるなら、決して、誰かを傷つける事はないのではないか。
死刑になりたいと15歳の少女が思い至るまで、何が起こったのか。1番近くで、我が子に寄り添ってきた母は、何を見ていたのか。
子育てにおいて、体裁はどうでもいいと思っている。
常に愛情を切れ間なく繋いでいく事は、子供が中高生になった今でも、まだまだ必要な年齢だと思う。
甘やかすという事ではなく、揺るぎない愛情の元に、必要なら厳しい言葉も必要な年齢。
親の価値観を我が子に押し付けてないか。
我が子は、何をしたいと思っているのか。
心の声をどれだけ、把握しているのか。
私も娘達と喧嘩もする。
学校での事にいっぱいいっぱいになっている時に、それは起こる。
なので、私もそろそろやってくるな・・・と言うのが準備できる。
よせばいいのに、あれやこれや、引き受け、どれも手を抜かずにやろうとするので、どんどん沼に入っていく。
全部取りは無理なんだから、始めから引き受けないか、どれか手を抜くしか無理じゃないの?という私の定番の言葉。追い込まれる娘を、途中から見ていられなくなってくるから。
それに対し、娘は、全部やりたいの。やるって決めたの。絶対、妥協したくない。と。
子供が頑張っている事を応援するのが親でしょ。という。
娘の言い分も理解できる。
お互い言いたい事を言う機会は必要だと思う。
娘の場合、たいがい、詰まっていたものを吐き出すことで、その後は、嘘のように、スッキリするようだ。
頑張っている事を私が理解している事が再確認できれば、リセットして、また物事に向き合える。
親子であっても、それぞれの価値観を持っている。
一対一で向き合う時間は、どんな形であろうが、非常に重要だと思う。
子供は子供の世界で、子供なりに必死に生きている。
私はちゃんと理解している?
今のままで大丈夫?
他に出来る事はない?
身が引き締まる思い。
自分に問いかける日々はまだまだ続く・・・