長女が生まれたばかりの私は、小さな我が子を守るのに必死だった。
守るのに必死すぎて、今、思い出そうとしても、自分が笑っている思い出がない。
当時は、主人も家を空ける事が多く、この子には私しかいなのだと、よりプレッシャーとなった。
体調が悪くなったとなれば、私のせいだ。自分を責める事が多くなった。
そろそろ、歩き始めようとする頃には、転んだら怪我しちゃうからと、とにかく目を光らせ、私は様々な事にがんじがらめになっていった。
そんな光景を見ていて、主人が言った。
それって、自己満足の為じゃないの?
自分が安心する為に。
転んだら何がダメなの?
痛い思いをする事も必要なんじゃないの?
子供に教えるって、そういういい事だけじゃなくて、失敗する事も教えていくのが親なんじゃない?
そうして子供は学んでいくんじゃないの?と。
体に電気が走ったように感じた。
目から鱗とはこの事。
この言葉を機に、私の子供との向き合い方は一変。
この子にとって、今、何が必要なのか?
何を学ぶべきなのか?
私はこの子にどうなって欲しいのか?
そう、この子にどうなって欲しいのかを、掘り下げて考えた。
答えは、簡単だった。
この世の中を、力強く生き抜いて欲しい。
私や主人がこの子にずっと寄り添っていることは出来ない。
守っているだけじゃ、この子を守れない。
失敗しても、それを修正する力と、それを考えられる力がきっとこの子には必要なんだ。
私がどんなに回り道して、失敗しないように準備しようが、何の為にもならない。
そうとなれば、子供との関わり方は、一気に楽になった。
この子にとって初めての事なんだから、失敗して当然。
いつかは出来るようになるんだから。
と、どっしり構えることが出来た。
驚いた事に、その変化に長女もすぐ反応した。
失敗するとすぐに私の顔を伺っていた長女。
初めての事をする時は、私と一緒じゃないと動けなかった長女。
それは、情緒も落ち着き、新しい事もチャレンジする事に動じなくなり、私の目を気にする事なく、自分でどんどん考えて、行動していった。
チャレンジしたいと言ったら、無理かどうかは親が決める事じゃない。
チャレンジする気持ちのある子供の、パワーを止めるのは親じゃない。
やりたい事をやりきる子供のパワーは、想像以上で、それは、なんだっていい。
スポーツだって、ゲームだって、勉強だって、夢中になれるものがある子は、最強だと思う。
長女と次女よ。失敗したっていい。どんどんチャレンジして、失敗と成功の先にあるものを、積み重ねていってほしい。