長女は順調にいけば、来年の今頃は大学生となる。
その為に今、一心不乱に勉強している。
足の踏み場もない程、机の周りには参考書が並べられている。見かねて、いない隙に、トントンと重ね、積み重ねるのだが、
せっかく並べたのに!
どこいったか分からなくなったじゃない!
この探す時間ももったいないのに、もう触らないで!
と、いつも言い合いになる。
スペースがあればあるほど、浸食されていく。置いたものは、置きっぱなし。
黙ってはいられなくなる。
家を出たら、この子はどんな事になるだろうか。
本人はすでに、食事は時間の無駄だから、自分で作らない。
食べるのが一瞬で済むのに、そこに時間を掛けたくない。
それなら、買った方がよっぽどいい。
作る時間があるなら、違う事に使う。
時間の使い方は人それぞれだから、と。
それでもいいと私は思う。
なぜなら、我が家は幼少期から、あれもこれも出来なくてもいい。
好きな事を好きなだけやりなさい。と言い続けてきた。これは、好きな気持ちは、誰にも負けないって思えるくらい。
やる力さえ、備えておけば、やる時が来れば、それは出来る。
やりたい!という事を、とことん好きなだけやらせた。
あれもこれもじゃ、どれも中途半端になると思ったから。
幼稚園選びも、あれやこれや授業で学ぶ事が出来る幼稚園ではなく、一日、自由に遊んでいい幼稚園を選んだ。
本当に自由だった。
学年関係なく、誰とでも遊べて、勉強という勉強は一切しない。
自由に一日遊ぶというのも、今となっては、人間関係を学ぶ上でも、非常に重要だったと思う。勉強より何より、自分で友達を見つけ、遊び、友達関係が良好に築けないと、一日、一人という事もある中で、楽しい遊びをしている輪の中に入って行ったりする事が出来ない。
コミュニケーション能力が培われ、楽しい遊びを作り出したり、なにかを生み出す力が付いた気がする。
小学校入学時も自分の名前くらいは書けたけど、それ以外は覚えていなかった。私も焦る事なく、学校に行けば自然と覚えるでしょ…と自分から特に教える事もしなかったが、心配する事なく、あっという間に覚えた。
それだけ興味のある事を突き詰めて来た長女は、今、難関大を目指している。
道はひとつじゃない。
その力さえ、つけてあげれば、やる!となったら、その力をちゃんと発揮できる。
親も周りが見えると焦りもするが、ブレずにとにかくブレずに、子供の力を信じる
。
その力はちゃんとついてくる。
大学に行っても行かなくても、その力があるのを分かっているから、回り道したって、そこに向かえると思える。
親が安心する為の道を、我が子を歩かせたい?
子供は子供の意志で、未来を選択していける。
私が不安なのは、我が子が自分で自分の道を決められない事の方。
さあ、来年の今はどうなってる?