真っ直ぐ生きるって

多感な中高生の娘を持つワーキングママです😊 まずは続ける事から初めてみよう 

願わくば

慣れないミシンと格闘しながら、体育祭で使う衣装もいよいよ出来上がり間近となった。

そんな中、今朝になって、長女がスマホの画像を私に見せてきた。

なんか、お手本と違うよ。

え、これ、お手本?それも今頃見せる?

あ、ごめん、ごめん。

連絡来てたんだけど、見る暇なくて・・・

ここまで出来てるんだから、今更、この形には出来ないよ。

青ざめる。

そもそも、長女から受け取った作り方は、昨年と違い、ざっくりとしか書かれておらず、学校生活だけでも大変な高校3年生がこれだけやってくれたのだからと、想像力を膨らませ、なんとかここまで作り上げてきた。

着る本人の長女が詳しく分かるだろうと誰もが思うはずだが、その常識は長女には当てはまらない。

長女に聞くも、

「何を渡されたかわかってないんだから、聞かれても、何を聞いているのかもわからない」

「ちょっと、これは、どこに何の為に使うのか聞いてちょうだい」と、頼むも、望んだ答えと違うものが帰って来る。

そう、興味の無いものには全く反応を示さない。

それを着て、踊るダンスの練習は学校でも家でも、しきりに練習する。だが、しかし、そこに着る衣装なんて、長女にとっては何でもいいのだ。

大事なのは、ダンスの振り付けを一糸乱れず踊る事なのだ。

 

面白い事に、長女は生まれてから今まで、生まれ育ったこの町の駅の場所が未だにわからない。何も遠くない、目と鼻の先にある主要駅は、車で10分もあれば行ける場所にあり、クリスマスのイルミネーションを見に行ったり、幼稚園、小学生、中学生の時でも、その駅を利用して社会科見学に行ったりして、何度も何度も利用しているし、どこかに車で出かける時にも、数えきれないほど通っている駅なのだが、未だに場所がわからないらしい。

いやいや、それでも、だいたいの方向はわかるでしょ。と、当たり前に言いたくなるが、長女曰く、

「今まで、駅がどこにあるのかなんて、わかる必要じゃなかったし、駅の事なんか考えた事もないんだから、わからなくて当然でしょ。」

常識と思っている事が常識に当てはまらない人がいる事を、長女を通じて学ぶ事が多い。家族でこうなんだから、もっといろんな感覚を持った人たちが沢山いるんであろう。

私の考えている常識が万人の常識とはならない。

そう、考えられるようになったので、ひとりひとり、それぞれの個性があり、まったく同じ人はいないんだと、思うようになった。

 

そして何より、人それぞれという事で、この作った衣装でも大丈夫となってくれないだろうかと、願う夜である。