終わった。
最終学年として、出せる力を出し切って体育祭は終わった。
家では、勉強しかしていない長女が、次々に競技をこなしながらも、下級生を引っ張り、最後の最後まで笑顔で頑張っている姿。家で見せる事のないこの姿は、きっと、普段の学校での長女の姿であり、子供の世界の中でのその一面を、目にすることが出来た事は非常に良かった。
家で見る子供はほんの一面なのだ。
学校で出し切り、家に帰って私の目に映る長女はただの一面でしかない。
子供の持っているものはもっと多面なはずだ。
出来ないと決めるのは、親じゃない。
子供自身。
自分で自分の限界を知る事は、生きていく上で必要なスキル。自分の経験でしか身につけられない。
そんな中、体育祭の実行委員長の挨拶が胸に響く。
実行委員長の話をもらった時、そして、なってからも、自分を苦しめたもの。
それは、自分が外部生だったこと。
高校から入学の子を外部生、中学からの子は内部生と呼ぶのだが、
実行委員長は、その重責に悩み、途中辞退する事を何度も考えたと。
外部生である自分が委員長になる事で、内部生で作り上げてきたこの体育祭の大事な何かを、壊してしまうんじゃないかという、壊してしまう、その恐怖心で自分が押しつぶされそうだった事。
それを支えたのが、内部生であり、外部生、先生達だった。
終わった今、その気持ちはなく、やって良かった。最高の瞬間だ!と。
この子が抱えていたものが、どれほどだったのか。
伝統を守り切れるのか。
内部生がやるべきではないのか。
じぶんが引き受けていいのか。
壊してしまったらどうしよう。
次々に不安がこの子を襲ったであろう。
だが、今はその恐怖を取っ払い、実行委員長としての姿は、自信に満ち溢れていて、それを超えた彼の姿に、涙が止まらなくなった。
場内が拍手でいっぱいになった。
悩みぬいて、行きついた先が今、ここにある。
ここにいるこの子達それぞれに、ドラマがあるのだろう。
だとすれば、この瞬間はどれほどの価値があるのだろう。
そう思うと、その全て愛おしかった。
このまま時が止まって欲しかった。
これから彼らを待ち受けるものが、何なのか。
その時もこの子達みんなが笑顔でいられますように。